遠き春よ。

皆様こんにちは。

今週から正真正銘の春がきます。

やっと待ち望んだ春。

待望の春です。

3月に入ってから寒の戻り寒の戻りと何回言ったことでしょう。

今週から花見が本格的に始まることですしもう寒の戻りはいりませんね。。

というわけで今日は春の風物詩“花見”についてです。

桜が日本の象徴であるように、それに付随するのがお花見です。

言わずもがなお花見は桜の木を見ながらご飯やお酒を楽しむものですが、一体そのお花見、どのくらいの歴史があるのでしょうか。

調べてみると、なんとお花見は日本最古の歌集『万葉集』にも登場しておりました。

万葉集というと、完成したのが8世紀後半になりますので花見が始まったのは今から1100年以上も前ということになります。

やはり大昔から存在するものではっきりとした起源については分からないか・・・と思いきや。

少しおもしろいものを発見。

当時の花見と現在の花見、実は差があったようなのです。

どういう差かというと、万葉集に登場してくる花見とは、遠くの山に咲いている桜の木を眺めながら行われるもので何も桜の木の下で飲み食いをするようなものではありませんでした。

では“桜の木の下”で、お花見をするようになったのはいつからでしょうか。

それは、『鳴くよウグイス平安京』で良く知られる平安京をつくった桓武天皇の息子、嵯峨天皇だと言われております。

その嵯峨天皇が、山に生えている桜の木を御殿に運び、植えさせそこで現在の花見のような方法をとったらしいのです。

・・・・何とも豪快な話ですね。

というわけで、嵯峨天皇が即位した809年ということを考えると、現在の花見スタイルが始まったのはちょうど今から1200年前くらいだということが分かります。

1200年というとこれはもう日本人のDNAに刷り込まれていても仕方がないレベルですね。

ただし、これで終わってはいけません。

嵯峨天皇が始めたとされる“花見”これは列記とした貴族の遊びです。

我々庶民が花見を楽しめるようなものではありませんでした。

だって山に生えている桜の木を自分の家に植え替えしているのですから当たり前ですよね。
(※桜の木がそこら中に生えていると思っては大間違い!これらは全て人の手の施しによるものです。)

なんと、現在のように一般庶民が花見を楽しむようになったのは、そこからさらに800年も後だと言われております。

そのきっかけとなったのが、

『醍醐の花見』

なのです。

醍醐の花見とは、1598年4月20日、かの有名な豊臣秀吉が亡くなる直前に、京都醍醐三宝院の裏の山麓で行った超大規模な宴です。

その招待客はなんと1300人!

秀吉に恩のあった醍醐三宝院の義演准后は秀吉の死期を悟り、彼の最期にふさわしい大舞台を、ということでこの花見大会を催しました。

その5ヶ月後秀吉は亡くなっています。

2人の関係性やらを考えるとこれまたなかなか胸熱なお話なのです。。

というわけで、その大宴会をきっかけに一般庶民にも“お花見”が浸透していったというわけなのです。

やっぱ、太閤様は偉大なお方やでぇ。