30年間戦い続けた男。

小野田寛郎氏と横井庄一氏。

横井庄一氏の名はよく『よっこいしょーいち』と立ち上がるときに言われる昔ながらのギャグで有名ですが、今日は横井庄一氏の話ではなくて小野田寛郎氏のお話です。

横井庄一氏は1972年帰国時に「恥ずかしながら帰って参りました」 とコメントしその年の流行語にもなったように現在でもその名を知っている方は多いと思います。

一方小野田寛郎氏はメディアの露出もさほど多くなく帰国後もブラジルに移住するなどしていたためか、80年代生まれの私の印象は横井庄一氏よりも薄く感じます。

では、何故今日いきなり小野田寛郎氏の話をしたのかというと、今から42年前の今日1974年2月20日、現地フィリピンにて冒険家の鈴木紀夫氏が小野田寛郎氏と接触に成功し帰国のきっかけを作った日なのです。(同年3月9日帰国)

「玉砕一切まかりならぬ。3年でも、5年でも頑張れ。必ず迎えに行く。それまで兵隊が1人でも残っている間は、ヤシの実を齧ってでもその兵隊を使って頑張ってくれ。いいか、重ねて言うが、玉砕は絶対に許さん。わかったな」

この言葉を小野田寛郎氏は何年も何年も守り続けたのです。

仲間が次々と死んでいく中たった1人になっても守り続けたのです。

最後は上官の任務解除命令が出るまで30年間もの間、その場から逃げることもせず任務を全うしたのです。

1974年というと東京オリンピックも終わり高度経済成長真っ只中。

そのときも日本から遠く離れた地にて上官の命令を一心に守っていました。

後にフィリピン軍司令官は小野田寛郎氏のことをこう言いました。

「軍隊における忠誠の見本」

と。

さらにはマルコス大統領も『立派な軍人』と評し小野田寛郎氏のした行為(1945年に終戦しているため本来なら犯罪行為)に対して恩赦を与えております。

かくして小野田寛郎氏の長い長い戦いは終わったのです。

いつまで続くか分からない孤独な戦い。
先の見えない未来に対して上官の言葉のみを糧に職務を全うする様。

こんな男、最高にかっこいいですよね。