
皆様こんにちは。
今日はタイトルにあるように『ミナミ』の由来についてのお話です。
まず、私ごとですが、私は元々四国は香川県の人間でした。
大阪へは十数年前に来てから、存分に大阪の街を堪能し、大阪の文化を日々学んでいる所存であります。
まず大阪に来て不思議に感じたことが、それはタイトルのまんまですがミナミという地名の謎についてです。
近隣の県ならまだしも、遠方の方からしたらミナミという場所の括りがイマイチピンとこないのではないかと思います。
私もその一人でした。
大阪の方とお話したときに、会話にしょっちゅう出てくるミナミという単語、これは慣れるまでかなりの時間がかかりましたね。
今でこそ非常に便利な言葉(地名)だなぁと感じておりますが。
何と表現したらよいのでしょう。
ピンポイントで攻めるわけではなく、ふわーっとした雰囲気で大体の場所を表せる非常に便利な言葉。
では、ミナミはいつからミナミになったのかその謎について迫ります。
はい、ではさっそく物知り博士のWikipedia先生の登場です。
島之内・道頓堀・難波・千日前といった地域に広がる繁華街の総称で、これらの地域が大阪市の中心業務地区である船場の南側に位置することや、大半がかつて存在した南区の区域にあたることからミナミと呼ばれている。一般的に道頓堀を東西基軸、心斎橋筋(戎橋以南は戎橋筋)を南北基軸として、北は長堀通、南は南海難波駅、西は西横堀川(現在は埋立。阪神高速1号環状線北行き)、東は堺筋までを指すことが多い。
ふむふむ。なるほど。大先生、ありがとうございました。
やはりラウンジいぶきのある宗右衛門町の飲み屋街を中心としたこの一角がミナミというわけですね。
ということは南区、というものが出来てからこういう呼称になったのでしょうか?
ちなみに大阪に南区というものが作られたのが1879年でした。
もう少し調べてみましょう。
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何やら気になる記事を見つけました。
http://mw.nikkei.com/sp/#!/article/DGXBZO19177890R01C10A2AA1P01/ より参照
明治時代の文献には「堂島の北、これを北の新地という」「南の新地、南地五花街」との記述が登場する。
南地五花街•••?
なんでしょうか。これは。
よし、大先生をお呼びしましょう。
南地は、宗右衛門町、九郎衛門町、櫓町、坂町、難波新地で構成され、これらを総称して南地五花街(なんちごかがい)と呼ばれていた。
へぇ〜おもしろいですね。
こちらにはピンポイントで5つの地名が載っておりました。
ということは大体、なんですねw
「大体ここら辺がミナミやねん!」という大阪人らしいノリなんでしょうか。
というわけでミナミの由来•正式名称は、かつての南区に存在していた繁華街、主に南地五花街を中心とした区域の総称、正式名称はそのままでミナミ、ということにしておきましょう!
やりました!またひとつ大阪ミナミという街のことが好きになれた気がします!
では最後に。
ラウンジいぶきのお客様で現在タイ旅行に行かれている方がおります。
一週間ほどの滞在らしく、毎日そのお客様からタイのリゾート写真を送ってくださり私もそれを見て癒されております。
では、そのタイの首都であるバンコク、の正式名称を皆様ご存知ですか?
バンコクの正式名称??
そう、バンコクの正式名称です。
今からそれをコピペせずに打ち込みますんでとくとご覧あれ•••
クルンテープマハーナコーンアモーンラッタナコーシンマヒンタラーアユッタラーマハーディロッカポップノッパラッターナラーチャタニーブリーロムウドンラーチャニウェットマハサターンアモーンラピーンアワターンサティットサカタットティヤウィサヌカムプラシット(ドヤ顔)
コピペを疑った方、いらっしゃいましたら是非いぶきに足を運んでくださいませ。
7回復唱いたします!