GWも明けて、俗に言う五月病というやつが発症している時期でしょうか。
幸い今日は週末の金曜日。
もう少し頑張ればお休みですので気合いで乗り切りましょう!
と言っても不吉なことに今日は13日の金曜日。
皆様ご存知のことと思いますが、あの13日の金曜日です。
と、話を続けたいところですがその話は以前にしていますのでこちらをご参照ください笑。
13日の金曜のブログ
さて、今日はこのお話を。
今から44年前の今日5/13、大阪でとある大事件が起こりました。
1972年のことです。
1972年といいますと、これまたブログに書いたことがありますが横井庄一さんが帰国したことや(30年間戦い続けた男。)、沖縄がアメリカから返還されたこと、そして田中角栄氏が総理大臣に任命されたことなど今考えるとなかなか激動の年だったと改めて思いますね。
では、1972年5月13日に起きたこと•••
それは千日デパート火災です。
千日デパート火災とは、千日デパート(実際はデパートが入っているわけではなく劇場やキャバレーなどが入っていた商業ビル)で起きた火災で、118名の方が命を落とし、その後建築基準法や消防法の大幅な改正が行われる契機となった日本ビル火災史上最悪の大惨事になった事件です。
もちろん私はまだ生まれておりませんでしたが、この事件は今でも様々なテレビで特集があったりと後世にも多大な影響を与えた事件の1つとして知れ渡っています。
出火元は3Fで、たばこの不始末が原因と考えられ、階段が煙突のような役目となり上の階へ煙を運んでしまい、営業中だった7Fのキャバレーにまたたくまに煙が充満してしまいました。
エレベーターは停電により停止し、頼みの綱は救助袋のみ。
しかし正常な使用方法が認知されておらず、しがみついてそのまま下へ降りようと試みるもあえなく墜落しそのまま命を落としたり、逃げ場を完全に失い、15m下に飛び降りる方も多くいました。
結果24名が飛び降り22名が死亡。
まさに阿鼻叫喚、地獄絵図とはこのことでしょう。
そして7Fのキャバレーでは96名の方が一酸化炭素中毒により折り重なるように倒れていたそうです。
実際火自体は4階で止まったのですが、これだけの多くの死傷者を出してしまった原因は、まさに煙によるものでした。
非常通路が間仕切りで封鎖されていたり、スプリンクラーや防火シャッター、様々な欠陥がこの悲劇を招き、結果ビルの責任者は有罪判決を受ける形になりました。
地震雷火事親父とはよく言ったもので、最近では地震のことが非常に注目されていますが、火事も普段から避難通路や点検•訓練は怠ってはいけません。
何かあった時常に最善の動きが出来るよう日々イメージトレーニングすることは何事においても大切なことなのだと改めて思う13日の金曜日でした。